2009年05月10日
教育改革より意識改革~子供の目線で~
*沖縄タイムス「論壇」掲載時のまま(二年前)
教育改革関連三法案に専門家の評論が飛び交う中、多少抵抗はある身近な経験から私見を述べたい。
大局的に見ると元来教育は、有史以来人間が生きていく上の三要素、衣・食・住の次に”人間らしく”生きる為の必要不可欠な要素として文明の発展に寄与してきた。事実現代でも世界の至る所、たとえ貧困にあえぐ国でも教育政策は国策の上位になっている。だが飽食の時代といわれて久しい日本、食が生活習慣病など諸問題を生み出してきたように、教育もまた様々な現代病を抱えることとなった。昨今の少年犯罪の低年齢化とその特異性、フリーターやニートを形成する社会構造は専門家ならずともその背景に歪んだ教育環境をあげることができる。その中ではかならず心の教育の在り方が問われる。現代の子供たちは競争社会が生んだ教育システムによって、その年齢で培うべき心の発育が著しく阻害されている。
阻害要因は一元化できるものではないが、背景を昔と比較すると分かりやすい(比較することへの無理は承知の上で)。たとえば私の子供の頃は心の教育の基軸はしっかりと家庭や地域にあった。親が子供の教育を前面に出すほど生活に余裕はなかったが、結果的に子供はその成長過程で躾を身に付け、ルールや協調性など小さな社会性を培っていた。そこでは相手を尊敬する心や思いやる心、健全な競争心が自然に芽生えた。それを受けて学校では教師が本来の目的に沿う教育ができた。
現代は物的充足や少子化、地域コミュニティの希薄化により子供が孤立化しやすい。さらにそこへ生活にゆとりが出た親が子供の教育を大上段に、より先の見えるレールにより早く乗せようと競争する。子供は気づかないうちにストレスを抱えてしまう。このような競争社会では親の価値観と呼応するように学校教育の在り方も変わっていった。大学への進学率のみを重視する高校、そこへの入学の為の中学・・・と、学校が本来の教育目的からかけ離れていった。さらに文科省が平成11年に打ち出したゆとり教育はさまざまな功罪を生み、現場では詰め込み教育からの脱却を図ったその趣旨とは程遠い感が否めない。子供たちの学習時間は減ることはなく学校から塾に変わっただけ、過密なスケジュールで今度は教師が創意工夫を失くしストレスを抱えることとなる。精神疾患を患う教師が急増している大きな要因であろう。
以前中学校のPTA役員をしていた時に、一緒に宿泊研修に参加した先生がふとこぼした言葉が脳裏をよぎる。「今の教師はベルトコンベアに乗っている二十日鼠と同じですよ。ゆとり教育に名のもと、脇目もふらず日常の業務をこなすだけ。子供の目線でと立ち止まろうものなら、それこそ振り落とされてしまう」
三法案の施行で教師がより多忙になり、子供との距離がさらに広がることが懸念される。今我々大人には、子供の目線に立った、心身バランスのとれた成長を育む教育環境を取り戻す意識改革が必要だ。
Posted by YUU at 00:32│Comments(0)
│コラム