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2014年01月07日

知事の決断!!

知事の決断!!



 苦渋の決断!
 ありきたりな表現でいえば、さしずめそう言ったところか。
仲井真知事の”辺野古埋め立て承認”により、普天間基地移設問題の
論争が再燃してきた。

 何年も継続してきた中、「今更」感がぬぐえないが、同じウチナ~
ンチュとして、他人事ではなく改めて私的な意見を述べたい。

 といっても、改めることもなく、3年半前に読谷村で知事も参加した
県内移設反対の県民大会後に投稿した「タイムスの論壇」の内容が、
ほぼそのままで修正しなくていい、と。
 ただ、その時の「論壇」はコラムの一部を抜粋したもので、
合わせて当時を思い出しながら掲載したい。



                ◇



 あらま、沖縄タイムス「論壇」に掲載されたよ!(H10 5/20付)


知事の決断!!






 正直なところ普天間問題の最近の報道で、県外移設や国外移設、さらには基地の全面撤去というのが”県民の総意”という一くくりの表現には多少の違和感を覚える。もちろん対外的な表現だろうけど、これだけの複雑な問題故、総論では賛同するが各論では異を唱えるという県民もいるだろうし、それが自由に意思表示できない風潮は真の問題解決を阻むことに繋がるのではと危惧する。それら時流に逆らうような意見は、話題そのものに触れてはいけないタブーと同じで”沈黙という意思表示”になって封じ込められているのではなかろうか。有識者、政界、メディアだけではなく市民レベルで少数意見、反対意見が自由に示され、活発に議論してこそ解決策に導かれるはずだ。沖縄でも基地被害を被る側、基地経済の恩恵を受ける側と立場の違いもあり、どの意見も絶対的正義はなく、批判や反対意見の対象となりうるし、政治的要素の混迷に巻き込まれたくない心情も働く。でもまあ、物心つく前の子供まで矢面に立たせる基地反対運動、日常生活では酒場でもその類の話題が上る昨今、その”沈黙の意思表示”さえ困難になってくる。ならば私もウチナーンチュ、下っ腹に力を込め現場目線で意見を述べたい。ここはあえて認識の希薄さを自覚しながらも、批判覚悟で”沈黙”を打ち破りたい。


 振り返ると、事の発端は世界でも類をみない「市街地と隣接基地の危険性除去」が早急、最大目的の普天間基地移設案だった。’96年自民党橋本総理の時、米政府との間で取り付けた合意趣旨はそれこそ限りなく”県民の総意”であり、もちろんその危険性は基地機能以上の重みとして米政府も譲歩できる合意だった。ただそれは具体的な移転先を欠く、期限だけ5年から7年後の全面返還という、つまりゴールの見えないスタートを切っただけ。’04年に沖国大へのヘリコプター墜落事故が起き、その実現がさらに緊急性を増した中、’05年名護市辺野古沿岸案で何とか中間合意に至り、やっとゴールが示された。それこそ辺野古住民が普天間の苦痛を我が身の痛みと照らし合わせた苦渋の決断だと表現出来ればいいのだが、現実にはそんな単純なことではなく、ゴールとして示された辺野古は地域活性化の名の下の賛成派、基地被害の懸念や海洋生物など環境保護理由の反対派と住民が真っ二つに分断する状態になった。
 それでも一応の合意に至ったのは、まだ焦点が普天間基地の危険性除去に絞られていたからだろう。そこから時間の経過と共に具体案が二転三転、さらには内外の政変などもあり、抑止力を基軸とする安保の問題や沖縄の基地そのものの在り方にまで論議がエスカレートすると次第に焦点は広がりボヤけていった。いつの間にか沖縄の基地負担軽減という大看板が掲げられ、普天間の移設先が県内ではダメだという風潮になっていった。それが14年経った今でも何ら進展を見ないどころか泥沼に陥った大きな要因だろう。

 確かに沖縄の基地負担軽減は長年の県民の悲願だ。しかし緊急を要す普天間移設とは当然時間軸にズレが生じる。そのことが”「アジアの安定の為の日米同盟という観点から、沖縄の米軍基地の兵力編成などをじっくり議論すべきだ。時間軸にとらわれてできる話ではない」(仙谷国家戦略担当相)と述べ、5月末決着にこだわる必要はないとの認識を表明した。”(沖縄タイムス5/8付)になり、地元メディア、地元政界も時期延長に関しては同様の趣旨の論調になってきている。今この瞬間にも被害を被り続ける普天間住民にとって、期限こそ重要な課題でしょう。期限のない目標は”近いうち食事でもしましょう”の約束に等しく意味がなく、14年どころか半永久の可能性だってある。政府批判一点の報道が過熱すればするほど徳之島にみるように移転候補地が”普天間の二の舞はゴメンだ!”となり、さらには米政府との最終合意点もハードルが高くなる。普天間問題という絡んだ糸は強く引っ張られるほど解けにくくなった。


 絡んだ糸をほぐす為にあえて大局的に、普天間とは時間軸のズレを生ずる安保や基地撤去を俯瞰してみよう。①なぜ日本に米軍基地が必要か?②なぜ沖縄に基地が集中しているか?③なぜ沖縄県民の大半が基地反対なのか?④なぜ基地撤去は時間が必要なのか?子供ニュース並みの素朴な疑問から入った方がいいだろう。①②はそれこそ子供ニュースの解説を引用した方が分かりやすい。

 日本にアメリカ軍の基地があるのは「日米安全保障条約」、略して安保条約で決められているからです。この条約では「日本が他の国から攻められているとき、アメリカは助ける。その代わりに、日本にアメリカ軍の基地を置いてもいい」としています。では、なぜ沖縄に集まっているのかというと、1つは沖縄がアメリカに長く占領、つまり支配されていたからです。日本などの国がアメリカなどと戦った太平洋戦争は1945年に終わりました。日本は負けて、7年間にわたってアメリカに占領されました。沖縄だけは、その後も20年間、占領されたままでした。このため、たくさんの基地がつくられたのです。もう一つの理由は、沖縄がアメリカ軍にとって、とても重要なところにあることです。アメリカからは遠くても沖縄からなら、北はロシアから東は中国、そして南は東南アジアの国々まで、とても広い範囲をカバーできるのです。(NHK週刊こどもニュース ’09年11月7日放送) 

 子供と同じような思考で米軍基地撤去を考えると、「アメリカの助けはいらない」日本になればいい、ということになる。まさにその通りだ。つまり安保を撤回し、毎年2千億円前後を拠出している在日米軍駐留経費負担、通称”思いやり予算”をゼロにすることだ。間違いなく数年後には米軍が半分になるはずだ。でもまあ、実際にはこれが一番困難で長年の政治争点にもなってきた。永世中立国を宣言したスイスは武装中立を堅持する為国民皆兵制を基礎とする強大な軍事力を持ち、軍事境界線を挟んで北朝鮮と対峙する韓国は米軍が駐留するにも関わらず徴兵制による軍隊をもっている。島国ということに加え世界で唯一の被爆国である日本は、憲法9条にある戦争放棄を世界に発信し長年平和を維持してきた。そこには間違いなく安保の役割は大きい。悲しいかな、世界的にも見ても米ソ冷戦状態の頃から、抑止力による平和維持が実態である。残念ながら平和は空気と違いタダでは手に入らない。その昔、南の島に小さな王国があった。大国とも活発に交易し、人々は豊かな平和な生活を送っていた。その王国がある日隣国からの侵攻を受けた。小さな王国は対抗できる力を持っていなかった為、泣く泣く隣国の属国となった・・・。ご存じの通り、どちらの国も日本である。薩摩藩の侵攻を受けた琉球王国は自力で国を守る力がなかったのだ。米軍基地が戦争に繋がる存在なのか、平和を維持する手段なのか。包丁が料理の道具なのか凶器なのか、に似ていると言ったら極端か。

 はたして問題の核心は何か?③沖縄県民の米軍基地反対の根底にあるのは、基地集中による負担不平等と相まって、、それが戦争被害の延長線上にあるものだからだ。戦争で焼け野原となった土地は米軍の基地建設にはうってつけで、占領下の為アメリカは自国の領土のように一番最適な場所、広さを有無を言わさず接収した。その後の沖縄の復興はいやが上にも基地に寄り添うように町並みが形成された。普天間基地を上空から見るとそれが一目瞭然だ。そして戦争被害の最も大きいのが、戦後65年経った今でも消えることのない、心の傷跡だ。本土防衛の為の時間稼ぎに過ぎなかった沖縄決戦は住民40万人が巻き込まれ15万人が犠牲になった。その犠牲の最たるものが慶良間諸島などの「軍官民共生共死」に基づく集団自決であり、あらぬ「スパイ」嫌疑にかけられ殺害された日本軍の住民虐殺であった。私自身の事でいえば、故郷である久米島は集団自決こそなかったが軍による住民虐殺があった。すぐ隣の慶良間諸島の悲惨な出来事といい、生まれるほんの13年前のこと、紙一重の歴史の歪みで私の存在が無に帰すことになる。戦争はけして過去に追いやる歴史上の出来事ではない。米軍、日本軍双方に犠牲を強いられた沖縄の住民に、基地=戦争を回想させ、さらなる犠牲を強いる存在であることも間違いない。

 ならば④普天間と同列の火急の問題として基地撤去に取り組むべきでしょうか。沖縄における米軍基地は皮肉にも、もう一面では戦争の傷のかさぶたの役割を担ってきた。戦後復興の過程で、振興策の名の下、基地周辺整備事業など沖縄経済に大きく寄与してきた。現在でも米軍基地を抜きにした沖縄の経済図は到底描けない。産業の空洞化による完全失業率はここにきても全国ワースト。復帰後38年の経過をみるが、沖縄振興”特別”措置法がまだまだ外せず、基地抜き経済体制確立には時間がかかる。返還後の基地跡地は再生するまで十数年以上かかり、生活の糧を基地収入に頼る層にはそのタイムラグが二次負担として覆いかぶさる。65年前の復興スタート時に遡ることはできない。かさぶたを一気に剥がすのは賢明ではない。中長期の政策とともに経済自立への意識改革が必要だ。さらに時間をかける必要がある理由に、基地負担を全国民が等しく分かち合うという意識が低く、今回のような普天間問題が出ても解決する土壌にないということだ。閣僚の「普天間問題は雲の上のお話」発言も言葉尻りを掴まえて批判するのではなく、ほとんどの国民の正直な気持ちの代弁と理解することだ。県民にも無関心、他人事は大勢いる。沖縄在住の本土出身者も含めると、もしかしたらその層が大多数かもしれない。改めて安全保障の在り方を国民が論議し、国益の受益と負担の歪んだ構図を修正していく必要がある。その先頭に立つ重要な役割を政府に担ってもらえるかが課題だ。


  今こそ国民一人一人に普天間の置かれた状況を自分のこととして捉えてもらうチャンスだ。がその前に「普天間の二の舞はごめんだ!」の意識は大半の沖縄県民にも当てはまる。沖縄の基地負担軽減を前面に打ち出し被害者の立場に身を置くことで、自分の住む地域がゴールに示されるのを牽制する。一連の報道には普天間基地機能移設が”普天間そのもの”の移転のような錯覚を与える。もし限りなく普天間に近い基地を建設するとなると、たとえば辺野古ではなく名護の市街地ド真ん中を、終戦後の基地建設と同じように強制的に接収して作らなくては不可能だ。4.25県民大会は全国にその錯覚を助長してしまった感がある。民主主義の数の論理からくる正当性として住民反対運動は連鎖する。「最低県外!」で示された地域は当然、徳之島と同じ光景になるだろう。イソップ寓話の”北風と太陽”の、北風ではなく何が太陽なのか、沖縄県民は今一度考えるべきだろう。県内、県外、国外と線引きするのではなく、普天間の危険性除去に焦点を絞って早期実現させることだ。結果的にはそのことが継続的な沖縄の基地負担軽減にも繋がる。普天間問題を参院選、知事選を控えた政争の具にしてはいけない。何はともあれ、世界の中の日本、日本の中の沖縄として、ウチナーンチュの意識改革、言動が普天間問題の解決の鍵を握っている・・・と私は思う。




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Posted by YUU at 23:00│Comments(0)コラム
 
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