2013年06月08日
ノラの親子 (3)
不安は的中した。
それは家人を近くの職場まで送ろうと、朝、車に乗り込もうと
する時だった。回り込んだ家人の足が車の後方で止まった。そして、
顔が下を向いたままボクを手まねきする。その視線と動揺で状況は
察しがつく。 深く息を吸い、ゆっくり歩みを進めた。
そこにマミーはいない。いるのは、いや、あるのは子猫・・の
頭部だった。
ショックはなかった。予測していたのか、不思議なほど冷静に
対処できた。
家人を車の脇によせて、今にも目を開けそうな子猫の頭部に
顔を近づけた。薄茶色の毛に、まるでついさっきまで元気に走り
回っていたような気配さえ残る。
だが・・傷口には血が一滴も流れた跡はない。まるで壊れた
セルロイドのオモチャのように。
もう一度傷口を注意深く覗き込む。
刃物とかの形跡はない・・・疑惑が消滅した。やはりほっとした。
それにしても、間違いない、これは咬み傷だ。ということは咬み
殺された?いったい何に?野犬?それとも・・・。
新たな疑問を感じながら、ボクは軽い子猫の亡骸を草が少し
伸びた前と同じ場所に、並べるように埋めた。
疑問を整理した。
まず、前回もそうだったけど、何故子猫はここまで成長して
からこのような悲惨な目にあったのか。これは容易に考えられる。
歩き回れる状態になってからだ。外敵に遭遇する確率が高くなる
からしかたない。
ならば外敵は野犬?この界隈にはあまり野犬はみない。
それと野犬が咬み殺したなら、血が傷口あたりの毛に飛び散って
いるとか、もっと乱暴な状態になっているはずだ。
きれいなまでの傷口から、それはきっと違う。
それと運んできたのが一匹だけなのは何故?
少なくとも2,3匹は産んでいるはずだ。生きていれば残った
子猫がマミーに連れられてエサを食べに来るはずだ。
一番の疑問は何故、ここ最近に限ってなのか。
以前は2,3匹の子猫たちがエサを食べにきていた。あれから、
この一帯の環境が変わった?いや、そうは思えない。
一日中、ボクの頭の中でそれらの疑問がグルグル回った。
七輪の焼きサンマを食べ始めた頃、匂いにつられるように
マミーがやってきた。マミーは何事もなかったように、そして
いつものように家人の足元にまとわりつく。
その様子を見て家人がボソッと云った。
「ねえ、今朝の子猫のことなんだけど、もしかしたら・・」
「うん、オレも何となくそんな気がしてた。でもまさか空腹
だからって?」
「まさか!だって、ほらいつもちゃんとエサ食べにきてるよ。
最近は量も増やしているし」
「そうだよな。それにあそこまで成長してからってのも不思議
だよね」
家人は空になったプラスティック容器を見ながら続けた。
「野生の獣は本能として子共が育たないことが分かると、他の
獣に食べられないように、痕跡を残さず自分で食べてしまうって
何かで読んだことがある。そういえば、前回マミーは死んでいる
子猫の傍でとっても悲しそうな目してたよ」
「確かに。血のあとが残ってないのはたぶんきれいに舐めたから
だろうな。あっ、でもそれなら全部食べて分からないようにするば
いいだけのことじゃない。何でこっちにその一部を運んできたの
かな」
「う~ん・・」
唸るような声を家人が発した時、ちょうどトイレにいっていた
息子が、手にビール缶とレモンティーのペットボトルを持ち戻って
きた。そしてボクらの話を聞いていたかのように、
「そういえば昼間、奥の男の子、あっ下の子の方ね、こっちにきて
マミーを見ながら変なこと言っていたよ」
ボクは、以前壊れたイスを解体している時、興味深そうにのぞき
こみ、”何してるの?”と、いかにも人なつっこそうなその子の顔が
浮かんだ。
「変なこと、って?」
「うん、マミーがエサ食べてたんだけど、それを遠くから見て、
”オイ、マタコドモタベテルノカ”・・って」
「・・・」
「やっぱり・・・な」
予想していたこととはいえ少なからず、家人はショックの様子だ。
ボクは息子に朝の出来事を話した。その前のことも。
「えー!」と言いながら、息子は皿をもっていそいそと家の中に
入っていった。
「もー、名前で呼ばない!」
家人はマミーを叱るように見た。
足元で空気が変わったのを察知するかのようにマミーが家人を
見上げ、それから静かにその場から立ち去った。
しばらく言葉が見つからずお互いだまっていた。どうもすっき
りしない。疑問が解決した訳じゃない。ふっと無邪気な男の子の
顔が浮かんだ。
「あっ!」
瞬間、微かな記憶として残る事件がボクの頭の中でフラッシュ
バックした。
「ねえ、前の家での猫のこと覚えてる?」
「前の家での猫?・・あっ!」
家人は両手で自分の頬を軽くたたいた。
事件はもうかれこれ20年も前、息子がちょうど三歳、初めて
我が家で猫を飼った時の事だった。それはココロやソラと同じで、
やはり捨てられていたのを拾ってきたメス猫だった。
メス猫は息子になつき、いつもじゃれるように一緒に遊んで
いた。
ある日、メス猫のお腹が大きくなっていることに気がついた。
その時もっと注意していればと後悔したのは、それからしばらく
経って、子猫が4匹産れた後だった。
子猫が産れてもすぐには触ったらダメ―。猫の本能だろうと、
知識としては持っているつもりだった。でも、まさか目の前で
そのようなことが起きるとは思いもしなかった。
油断だった。
ふたをしたダンボール箱の中で、産れたばかりの子猫たちが
ミャーミャー鳴いているのを、目を離したスキに、息子が抱き
上げてしまったのだ。4匹とも。やんぬるかな、翌朝、箱の中で
子猫たちは母猫に咬み殺されて無残な姿に―。
そして母猫もその日を境に忽然と姿を消した。
それ以後、我が家では猫を飼うことはなくなった。
そうだ、ココロを飼う時にはもう忘れていたものなぁ。もちろん
息子の記憶の中にも残っていないはずだ。
謎が解けた。
マミーは奥の家の辺りで子猫を産み、二週間ほど経って子猫が
表に出てきたところを男の子に触れられたんだ。たぶん可愛がら
れるようになでられて・・。その後、男の子はマミーが子猫を咬み
殺しているのを目撃した。
でもショックはなかったのではないだろうか。たぶん男の子には
何かエサでも食べているかのように映ったのでは・・・。
1年前までは男の子はまだ2歳、子猫たちを触るまではいかな
かったか、あるいは子猫たちは我が家に連れられてくるまで、
気付かれなかったのだろう。
でもまだ分からないのは何故、1匹の死骸だけここに運んで
きたのか?
家人曰く、マミーは信頼している我が家にそのことを訴えた
かったんじゃないかな。悲しい目も今にして思えば・・、けして
母性がなくなって育児放棄した訳じゃない。
「ごめんね・・マミー」
立ち去ったマミーのいた場所を見つめて、家人はそう呟いた。
翌朝、ポストに入っている、普段はあまり読まない村の広報誌
が何故か目に止まった。そこには次のような記事が載っていた。
『飼育される見込みのない子犬や子猫を増やさない為に避妊、
去勢手術の費用を一部負担します。犬のメス7000円、犬の
オス5000円、猫のメス5000円、猫のオス3000円
ー県獣医師会ー』
ガレージのイスに座り広報誌を読んでいると、斜め向かいの
お婆さんが外出なのか、目の前を通り過ぎようとしていた。
会釈をし、いや頭を垂れて「おはようございます!」と声を
かけると、初めて笑顔入りで返事を返してくれた。
「おはよう!今日もいい天気ね!」
いつの間に来たのか足元に、”ミャー”と鳴いてジッとボクを
見上げているマミーが―。
(了)
Posted by YUU at 20:31│Comments(0)
│エッセイ