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2014年05月17日

新聞の価値って!?

    新聞の価値って!?




 若者を中心に新聞離れが顕著になっている。
 ニュースのスピードやコンテンツの量が新聞では到底及ばないほど
インターネットの普及は著しい。そしてそのほとんどが無料で読める。
 活字離れとも言われているが、小説でさえ無料でも入手できるケータイ、
パソコンで読むようになっており、厳密には”紙”の活字離れだろう。
   
 夕刊がなくなって久しい。
新聞自体がなくなることは考えられないが、記事の種類や量、質は間違い
なく変わっていくであろう。
 ”新聞もスマホ、タブレットで読む”もう不思議な光景ではない。
 まあ、”紙”で発行するのが新聞だというのも固定概念か。新聞会社の
ネット版同時発行は当たり前となっている。

 ―その昔。

 我が家が、今ふうに言えばインテリジェンスな家庭の証である”新聞紙”
なるものを取るようになったのはボクが小学生6年の頃、テレビより後
だった。
 当時久米島では、朝刊と前日の夕刊が一緒にその日の夕方配達されて
いた。うちの部落でまだ7、8軒しか取っていなかったから、久米島全島
でもそれほどの部数ではなかったはずだ。それがないと生活に困るはずも
なく、島にまだ一機しかない信号灯のように”あっ、これがそうか”という
ぐらいのものだった。
 
 世の中の動きをリアルタイムで知る必要も、夕方配達される新聞で
数少ないテレビの番組を確認する必要もなかった。親が何故新聞を取った
のか疑問だったが、近所に優越感だけはあった。
 そんなこんなで新聞がきても誰もあまり読もうとせず、いつの間にか
古新聞となって部屋の片隅に積み上がっていく。
 ところがどっこい、古新聞となったところから、がぜんそれは価値が
出だした。

 学校に弁当を持っていくのだけど、漁師の子供はランドセルの中、ハン
カチで包んだ弁当の汁で教科書の端がいつも膨らんでいた。特にイカの
季節は最初あんなに薄かった教科書が学期の終いには倍くらいの厚みに。
 古新聞は重宝した。
 汁の吸い方がハンカチの比ではなく、学校で弁当を広げた時の世界
地図は教科書にまで勢力を及ぼすことはなくなった。
 うわさが広まり、古新聞をもらいに近所の人が我が家へやってきた。
インテリジェンスな我が家は惜しみなくそれを分け与えた。部屋の端っこ
で積み上げられ邪魔物から貴重品に変わったその高さがみるみる低く
なっていく。


 ところで、新聞配達をしていたのは隣部落の一つ年下の奴だった。
その家庭はやはり裕福じゃなく、たぶんに家計の足しにしていたんだろう
けど、なんせ不真面目な奴でしばしば遅配していた。
 まあ家に電話もないし、記事を読む訳でもないからどの家もほっといたら、
遅配は次第に、翌日配、翌々日配・・エスカレートしていった。
 とうとうある日、荷台に溢れんばかりの新聞を積んでいる奴の自転車
に出くわした。我が家の弁当包みも底をつく頃だったので、文句を言おう
と駆け寄ると、そこには近所のおじいちゃんに怒られて小さくなっている
奴の姿があった。
  配達と同時に貴重な古新聞となったそれは、一週間分の高さに―。


 翌日、学校の帰り道。遠くに新聞配達人の姿が見える。
 ”お~い、弁当の包みが必要だぞー!頑張れよ~!”
 ペダルを漕いで小さくなっていく奴の背中に手を振った。




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