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2014年06月19日

五色のテープ

    五色のテープ




 今でこそミュージシャン、俳優などを多数輩出し、その他のことでも
沖縄ブームになったりと、おかげで沖縄に関することを正しく、というか
正確に理解されるようになった。うれしい反面、本土復帰('72年)前を
知る世代のウチナ~ンチュにとっては、当時を懐かしく思っている人も
沢山いるはずだ。

 もちろん今みたいにメディアが発達している訳でもなく、内地(当時は
”本土”という表現より”内地”が多かった)に行き来するのもパスポート
のいる時代ですから、内地旅行となれば今の海外旅行よりずっと大掛かり
だった。

 長兄が大学の頃北海道旅行の旅費を、母が自分の着物の中帯の中に
ドル紙幣を一枚ずつ丸めて入れて、兄貴の腹に巻きつけ、文字通り肌身
離さないようにさせていたのを思い出す(まあ、このあたりは特に沖縄
だからという訳ではなく時代が時代ってことかな)。
 
 当然内地から見ても外国と同じで、沖縄に対する知識も今なら”えー!”
と驚くようなのがいっぱいあった。

 


 僕が初めて内地に行ったのは高校2年、バドミントン選手での茨城県
水戸インタハイ。復帰から3年、ドルから変換された円にもようやく
慣れてきた'75年の夏は沖縄で海洋博覧会が実施された年だった。

 おかげで普段は飛行機のところ、僕らは往復船旅。今思えば初めての
内地旅行が船旅でよかったと思う。東京までの二泊の遠い遠い船旅は、
少年の夢の実現をじっくり時間をかけて楽しませてくれた。

 那覇港を五色のテープで見送られた(その後しばらくしてからその
ような見送り方が出来なくなった)僕らはほとんど眠れずに甲板で過ごし、
大海原や島影を眺めていた。
 東京に着いたら着いたで大変、大都会に圧倒され水戸に着くまで
みんなテンションあがりっ放し・・・。



 そして水戸の旅館到着、おばちゃんらに大歓迎を受ける。

 「いらっしゃい!まあまあ遠くからよ~来んしゃったねぇ」
(とか言ってたかどうか定かではないが、水戸のイントネーションに
 TVドラマを見るような感覚だった)

 「疲れたろうに・」と言いながらも、おばちゃんは僕らのリアクションは
期待してなかったようで、
 「こんにちはー!よろしくお願いしまーす!」
と僕らの体育会系の元気な挨拶に、

 「えっ!あらま、日本語上手ねぇ!」
  「・・・」
 僕ら絶句!でもすぐに沖縄では英語が日常語だと思っているんだと
分かり、ハイテンションも手伝ってメンバーの一人が、
 「アッ、ハイ・・トテモ、レンシュウシマシタ!」




 今思えば、異国(?)の地でとっさに出たこのリアクションもスゴイよね。
 まあ、その後はお互い打ち解け(というか理解し合い)・・楽しい
思い出を作りました。
 ん?ところでバドミントンの成績は、って? んなの記憶にも残って
ないなぁ。それより観光で行った偕楽園で大きな木の下、アベックが
キスをしている場面に遭遇・・メンバーの「水戸偕楽園、昼間っから
カ・イ・ラ・ク・エン」という一句の方が記憶に、ハハ。






         

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