てぃーだブログ › 南風の便り › 短編小説 › 十九の香り (6)

2014年02月24日

十九の香り (6)

    十九の香り (6)



 
                 (終章)


 部屋の明かりを消しキャンドルを灯すと、辺りがやわらかな
橙色に包まれる。
 雄一郎の好きだった曲、流れ星のような前奏で始まる“星空の
ピアニスト”が流れてきた。ピアノだけの旋律が8小節続いた後、
重低音を伴うフルオーケストラが加わると一瞬ピアノの音が迷子に
なるがすぐに力強い和音が捉えられる。



 12年前の今日、雄一郎の命の灯が消えた。


 祥子がMeiを辞めたのは雄一郎が逝ってすぐだった。
夢から醒めたように“日常”に戻り、その後明美とは時々連絡を
取り合っていたが店に行くことはなかった。専門学校の残りの
期間、夜の仕事を一切しなかったが卒業と同時に高級クラブと
して有名な松山のクラブで働きだした。

 生まれつきの容姿と、社交的になった性格もあってか、
祥子はその店で数年経つとNO1になった。だがオーナーから
新規店のオープンに際しママを任されると何故か店を辞めている。
祥子26歳の時―。




 ミニコンポのボリュームを少し絞るとフロアに座りテーブルに
片肘を付く。香水のキャップはもう閉じられている。
 雄一郎の命日、ここまでは毎年の儀式と同じだ。

 祥子はワイングラスを手に取り少し残っているのを飲み干すと、
少し赤らめた顔で見えない人に話しかける。

 雄ちゃん・・
 ねえ、私ももう31歳になっちゃった。早いね、12年だよ。
 今でも雄ちゃんの顔、ちゃんと憶えてるよ。
初めて私がドレスを着けた日ビックリしてたね・・雄ちゃん正直
だからすぐ顔に出てたもん。
やっぱりちょっと背伸びしてたと自分でも思う。
 でもネ、あれでも雄ちゃんの為に頑張ったんだよ。そうだ、
今ならほんとに“いいね”って言ってもらえるかな。
 ちょっと待っててね!




 今日は午後からショップは従業員に任せてきた。休みにする
ことも考えたがクリスマス前なので普段通り開けた。
 祥子のブティックは松山交差点近くの国道沿いにある。
オープンして四年経ち、やはり好きなモノトーンを基調とした
インテリアでハイセンスだ。

 祥子は小回りの効く高級既製服に、オートクチュールのような
個性を顧客から引き出し、幅広いファンを作り出してきた。OLの
おしゃれ着に始まり、スナックからクラブまでホステスのドレス、
セレブと呼ばれる時間と金にモノを云わせる高級主婦たちは
ほとんどリピーターだ。




 寝室のクローゼットには沢山の衣装が掛けられているが、
一番端のカバーは何やら古ぼけた感じがする。カバーをはずすと
12年間一度も袖を通さない黒いドレスが出てきた。

 祥子は身に着けているものを全部脱いだ。
 ヴィーナスのような肢体、その輪郭が仄かな灯りに映し出された。
 “この世にこれ以上美しいものはない”
 もしそこに誰かが居合わせたら間違いなくそう言うだろう。
鏡の中、キャンドルの灯りでくっきりと浮き出た乳房に両手を
添え目を閉じる。生きている証しの鼓動が聴こえてくる。

 祥子はドレスを着けた。
 NO19の香りもその時を待っていたかのように祥子の一部に
なった。ベランダに出ると先程とうって変わって星が瞬いている。


 ねえ雄ちゃん、見ててくれた?
 私、頑張って自分の夢かなえたよ。だって雄ちゃんの言葉は私の
心の支えだったもの。うん、辛い時もあったけどね。

 そう言いながら祥子が身体を左右に廻すと、ドレスのウェーブが
足元で軽く開いた。

 雄ちゃん、どう似合う?
 もらった香水も初めてつけたわ。最近やっと雄ちゃんが香水を
くれた意味分かったような気がする・・きっと“この香水が似合う
イイ女になるように”だよね。うん、たぶんイイ女になったと思う、
自分でも。でもね・・・

  胸の中の言葉が途切れた。そこで祥子は深く息を吸った。
 確かにその微笑はあの頃のそれとは違い、哀しいほどに翳りが
あり、ダ・ヴィンチの絵のように謎めいて見える。

 ・・私、ダメなの。確かにいろんな人が言い寄ってきたわ。
でもね、いつも気がついたら、雄ちゃんと比べてるの。
 



 通りに車は走っていない。
街が眠りについたかのように不思議なほど静かだ。
その静けさの中、いつの間にか祥子に微笑が消え頬に一粒の
涙がこぼれた。
 それは儀式のもうひとつの理由だった。

 雄ちゃん・・・ごめんね。私にもう少しだけ勇気があったら・・・

 祥子はかすれた声でその場に崩れ落ちた。

 祥子が自分の身体にもうひとつの命が宿っていることに
気づいたのは、その源泉がこの世から消えた後だった。
 命の限り生きてる証しを貪った男と、無意識にそれを感じ受け
入れた女を誰が責めることが出来よう。生きとし生けるモノの本能に
神が応え、祥子の中に雄一郎の命が引き継がれた・・はずだった。

 生まれていれば11歳―。
 最後まで産むことを選択しようとした祥子を説得したのは明美だった。
もしもそれが神の思し召しだとしても、祥子と生まれる子の過酷な
運命は想像に易し、明美じゃなくても悪魔に魂を売ることを選ばせた
はずだ。


 この世に生を受ける前に雄一郎の元に返したわが子への想いが、
今になって祥子の胸を切り裂く。

 ごめんね、ごめんね・・

 ドレスの膝元に雫が落ち小さな楕円を描いた。
 その時、急に生暖かい風が吹いてリビングのキャンドルが“ふっ”と
消えた。振り向くと部屋の中央柔らかな光がぼんやり浮かんでいる。
それはしだいにはっきりとした玉状になり祥子に近づいてきた。

 雄ちゃん・・

 やさしく包まれるような感覚は間違いなく雄一郎だ。
祥子の前で一瞬止まった霊塊は微かな尾を引き静かに天に昇って
いった。その瞬間、祥子の胸の中に囲われていた哀しみの痼も
昇華するように解き放たれた。

 ありがとう雄ちゃん、もう大丈夫よ!

 祥子は穏やかな顔で雄一郎が残したぬくもりを抱えると、夜空を
仰ぎ、少女のような笑みを浮かべた。
 雄ちゃん・・さようなら

 流れ星が南の空でス~と尾を引くように消えた。 
 
                                   (了)



 

  • LINEで送る

同じカテゴリー(短編小説)の記事
奇跡の1マイル
奇跡の1マイル(2017-08-30 09:41)

沫雪
沫雪(2017-08-28 13:27)

識名霊園まで
識名霊園まで(2017-08-24 22:04)

White Valentine
White Valentine(2017-02-01 19:14)


 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。