2014年02月24日
十九の香り (3)
(4章)
待ちわびた人が来たのは珍しく十一時過ぎ。
もうひとつ珍しいのは、ひとりじゃなかった。シートで接客をして
いた“ママ”が素早く立ち上がり駆け寄った。
「いらっしゃい雄ちゃん!まあ珍しいわね」
「今日はうちのメンバーと食事会!」
「うわ~、いいなあ!何食べてきたの?」
雄一郎が答えようとした時、以前来たことがある四十半ばの男性が
酔った口調で、「ママ~、久しぶり!」と割って入ってきた。
「こんばんは!えっと、金城さんでした?」
「ピンポーン!」
ハイテンションの金城の後ろには、いかにも真面目そうなのと今風
格好の二十代男に、三十前後の地味目な女性従業員がいた。
雄一郎が“ヨロシク!”と軽く右手をあげると、明美は“オッケイ!”
と傍にいたスタッフに「奥のシートへご案内して!」と指示した。
それから何やらいつもと違う店の雰囲気を感じている雄一郎の腕を
掴んで、カウンターへ目配せする。
カウンターの客は若い一組だけ、いつもの雄一郎の指定席で盛り
上がっていた。その前に見慣れない女性―。
「えっ、祥子?」
思わず雄一郎が唸った。
祥子がカウンター越し若い客に了解をもらうようにグラスを合わ
せているのを見て、明美はユミを呼んで“カウンターお願い”と指示
すると、雄一郎をその場に残し奥のシートへ向かった。
ゆっくりと雄一郎の前まで来ると祥子はニコッと目で挨拶をした。
子供と大人の境界を女性は一晩で越えられるものらしい。
身長167cmのすらっとした身体。大胆にカットした黒髪。
少しブルーの効いたアイシャドー。薔薇のような薄紅がかった
口紅。元々目鼻立ちのいい祥子の表情がハイビジョンのように映し
出される。
黒のワンピースドレスは派手なデザインではないが、両肩を出し
ツンとした胸の膨らみの稜線が、谷間を作り始めるラインから細い
肩紐が背中へと回っている。キュッと引き締まったウエストから
ヒップにかけて大きくカーブを描き、その下の部分は軽やかなウェー
ブになっている。
ファッション雑誌から抜け出たような、とても十九歳とは思えない
着こなしと落ち着き、原石が輝きを見せた瞬間だ。
「雄ちゃん、どう?」
不思議と声まで変わる。
カウンターの前、雄一郎はまだ信じられないといった表情で突っ
立っている。「いやぁ・・うん、いいじゃない!」と何とか言葉を
返したが、雄一郎はどこか複雑な心境でもあった。
明美の指示で奥のシートに来ると、もうすでに盛り上がっている。
祥子を見て男性陣からヤンヤヤンヤの喝采が起きた。
祥子は「こんばんは!」と軽く会釈し、シートの端、雄一郎の傍に
座った。再びそれぞれの場で盛り上がる。
初めてのシチュエーション、ドキドキしていつもの会話ができない。
ウーロン茶の缶を開けながら、明美が冷やかし入りの助け舟を
出してくれた。
「そう言えばおふたりさん、カウンター以外では初めてね」
言うまでもないことだった。
「そう言えばそうだなぁ」
雄一郎も真似してさらっと合わす。祥子はそのやりとりに加わらず、
突然明美の前にあるボトルに手を伸ばした。
「よし今日は呑みましょ!ねっ雄ちゃん!」
これには雄一郎と明美が顔を見合わせた。
窓の外は月夜だろうか。
ベートーベンのピアノソナタ月光、第一楽章―。
賑わいの名残が少しずつ消えていく。壁掛けの時計は2時15分。
すでに入り口の看板の灯りが消えた店内、明美と祥子だけがカウン
ター席で雄一郎のピアノを聴いている。
雄一郎が低単音に余韻を残し弾き終えると、明美はカウンターの
中に入り雄一郎に席を譲った。お店で初めて呑んだお酒、祥子は
一見して酔いが分かったが、雄一郎は久しぶりのお酒にもほとんど
酔ってないように見える。
カウンターの中を片付けながら、明美がついさっきまでの話を
あらためて持ち出した。
「ねえ雄ちゃん、ほんとに事務所閉めるの?」
「そうそう、祥子もビックリ・・だった!」舌足らずな言葉が続く。
氷の解けかけたグラスを手で弄んでいた雄一郎は、
「ほんと言うとね、だいぶ前から決めてたんだ。まっ独り者だし、
いい機会だからしばらく外国でも行こっかな」と、冗談ともつかな
いことを口にした。
雄一郎は笑いながら、でもどこか寂しげに“独り者”を繰り返した。
祥子は前に雄一郎が明美と、めずらしくその話をしているのを
聞いたことがある。
・・勤めていた不動産会社から独立し自分で事業を始めた頃、
付き合いなどで毎晩遅くまで家に帰らない日が続いた。仕事は順調に
いったが、家庭を顧みなくなり愛想をつかされた形で離婚、高校生
になる娘は女房が引き取った。養育費の仕送りだけは続けたが
ずっと娘に会えず、結婚も風の便りで知る。その後身体を壊し仕事
もうまくいかなくなるが、事務所の規模を縮小したことでなんとか
立ち直った・・・
山あり谷ありの十数年間を、ほとんど独り言のように淡々と話す
雄一郎―。最後の言葉が今も祥子の胸に残る。
「ほんとはね、謝ってもう一度やり直したいとずっと思ってた。でも
娘からの電話でそれが叶わないことを知ったんだ。亡くなったのは
交通事故。結局謝ることすら出来ず・・・」
さっき雄一郎は事務所を閉めることを経営上のことと言っていたが、
どうやらみんなに迷惑かけるからと退職金としてそれなりの金額を提示
したらしい。
「まあ、雄ちゃんが決めたことだから・・。でもお店には今までみたい
に遊びにきてよ!時々でいいから」
明美らしくあっさり言い、そのままキッチンに入っていった。
ふたりきりになると雄一郎は、前を向いたまま大きく息を吸い、
“ふ~”と吐き出した。それから穏やかな口調で、
「ねえ祥子・・ゴルフしない?」
その前振りなしの言葉に「えっ!」と祥子はびっくりして頭を
起こした。
雄一郎は、祥子がゴルフが出来るか訊かなかったし、それよりも
今までゴルフの話をしたことすらなかった。祥子はその言葉が、
それが何であれ“一緒に何かをしたい“に聴こえた。もちろん今まで
クラブを握ったことはない。
雄一郎の顔を見て微笑むと、すべてを委ねるように、
「うんいいよ!ヤろヤろ!」と言い、それ以上何も訊かなかった。
雄一郎は目尻にしわを作り子供みたいに右手の小指を立てた。
祥子が小指をかけると包み込むように大きな左手が重なる。その瞬間、
祥子は不思議な現象を見る。周りの音が消え、雄一郎の後ろに微かな
明かりが幾筋も―。
“ドタ!”
我に返った祥子が見たのは、カウンターにうつぶせている雄一郎。
「雄ちゃん!?」
祥子が覗き込もうとした時、雄一郎がおもむろに顔を上げた。
「ごめん、ごめん!やっぱり酔ったかな」
雄一郎は頬を両手で軽く叩き、微かに歪んだ笑みを浮かべた。
-つづく-
Posted by YUU at 02:32│Comments(0)
│短編小説