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2014年02月24日

十九の香り (1)

    十九の香り (1)



            (序章)



 風はなく、冷んやりとした空気が火照った頬に心地いい。
 マンション八階のベランダから階下を見下ろすと、久茂地川沿いの
道路、黄色から赤に変わる信号の交差点をタクシーが止まる素振り
も見せず走り抜けていった。

 都会がどこでもそうあるように、いつの間にか那覇も孤独が似合う
街になってきた。空に星は見えないが曇っているふしもない。まあ、
最近は田舎でもない限り、星空が夜景の主役になることはめったに
ないが。

       


 仲宗根祥子は程よく酔いが醒めると、急に肌寒さを感じ部屋に戻った。
 モノトーンで統一されたリビングのインテリアは余計な家具を排除して、
およそ生活の匂いがない。小さな黒のサイドテーブルに置かれたミニ
コンポからブラームスが流れている。


 祥子はガウンを脱ぎソファーにかけた。


 タトゥー調レースの黒いキャミソールが間接照明のせいで祥子の妖艶
さを際立たせる。
 サイドテーブルの上部の壁に掛けられた時計の針は午後10時を
回ったところ。テーブルの上にある化粧品会社の小さなカレンダーは
12月14日、今日の日付にボールペンで赤い丸がついている。          



 ブラームスをラックに戻し、代わりに一番端のケースを取り出し、
CDをコンポに入れ再生スイッチをONにする。小学生クラスのピアノ
教則によくある4連譜のイントロが流れてきた。


 久しぶりの〈渚のアデリーヌ〉を聴きながら祥子はソファーに座り
直した。

 ガラステーブルの上、ボルドーのいかり肩のボトルはすでに中身が
半分ほどになっている。グラスにフルボディーの赤を七分ほど注ぎ、
少し口に含みテーブルに戻すと、内側に濃厚な滴がゆっくりと跡を
残し落ちていく。



 ボトルの傍に白い細長い箱がある。それを開けると中からゴールド
の帯と文字でN*19CHANELとあるシルバーの容器が出てきた。
モンローで有名なNO5と双璧をなすNO19。宣伝文句は―。

 “ココ・シャネルの誕生日、八月十九日にちなんで命名された香水。
澄んだ水のようにピュアで清潔感溢れるフレッシュグリーンフレグ
ランスで、陽気で活発でありながら洗練された女性らしさが香り立つ“


 五感のうちで一番主観に近い嗅覚も、香りがこのように形容されると
その価値と評価はほぼ統一された方向へ導かれる。その文言がそっくり
あてはまる祥子だが、今でもなぜか香水を付けない。 


 容器の文字を指でなぞる祥子の口元が微かに緩み、吐息が漏れた。


 もう十二年になるんだ・・


 いつの間にか毎年の儀式みたいになって自分でも不思議に思う時が
ある。角ばった容器のキャップを取り先端を指先で押し目を閉じる。
その香りは一瞬に鼻腔を通過し、脳髄の奥にある記憶の襞に到達した。

 雄ちゃん…
        
 



              (1章)


 「こちら雄ちゃん、ヨロシクね!」

 ママの明美からカウンターの端で静かに飲んでいる、白髪まじりの
男性を紹介された。見ると飲んでいるのはウーロン茶で、少し変わった
雰囲気だ。ただこういう店が初めての祥子には目の前にある状況を
分析する余裕はない。

 それと明美がはるか目上のその男性に対し、「雄ちゃん」と呼ぶのに
多少の戸惑いもあった。いかにも夜の世界では、小学校の恩師だろうが
総理大臣だろうが愛称で呼びたがる。


 「初めまして、祥子です。よろしくお願いします」


 かすれそうな声はまるで就職の面接を受けるような挨拶だ。それが
可笑しかったのか新鮮だったのか、男性は「ヨロシク!」と言って
微笑み、軽くグラスを持ち上げた。


 それが野原雄一郎との出会い。1995年9月4日、祥子十九歳―。






 久茂地交差点から松山にかけては高いビルが立ち並ぶオフィス街だ。
 歩道や車線の半分を覆うくらいに大きくなったアカギは、
五月半ばのこの時期褐色の幹に付いた葉の緑が一段と濃い。

 街路樹も以前はこのアカギやガジュマルのような台風に強い常葉樹
がほとんどだったが、最近はホウオウボクやトックリキワタのように
冬には葉が落ちるが、時期になるとオレンジやピンクの花が咲き道行く
人の目を楽しませてくれるのも増えてきた。

 車社会の沖縄、片側三車線の広い国道58号線でもこの一帯は平日、
サラリーマンの一日の気力体力の大半をここで奪うのではないかと
思えるほど朝夕の混雑が激しい。   


 金曜日、午後八時過ぎ―。


 祥子と姉の智子を乗せたタクシーは、やっとスムーズに流れだした
松山交差点北向けの右折車線で一旦信号待ちした。
 左手に松山の繁華街のネオンが華やかさを増し、これから数時間の
喧騒を予感させる。 歩道には濃いめのスーツに溶け込むほどの
シャツネクタイに金に近い茶髪と、いかにも分かりやすい格好の
若者が二人たむろしてカモが来るのを待っている。


 右折したタクシーは信号のない交差点を左に折れた路地、
五階建てのテナントビルの前で停車した。
 この辺りは国道側のオフィスビルの裏通りとして雑然とした
感がするが、雑居ビルの合間に日本語や横文字が入り乱れる数件の
派手なネオン看板も目に付く。


 その店は鉄製手すりのコンクリート外部階段を上った二階の
正面にあった。
 黒地のドアにステンカラーでPub lounge Mei とある。店名に
オーナーママの一字を取ったことを推測できるドアを開けると、
上部でカラ~ンと乾いた音がした。 



 明美は同じ具志川出身で祥子と13歳離れた智子と同い年だ。
何でも高校を卒業した後ずっと本土で働いていたが、四年前に
戻ってきて2ヵ年松山のスナックで勤め、28歳の時思い切って
自分で店を出している。


 「いらっしゃいませ!」


 カウンターでおしゃべりしていたホステス3、4名とボーイが
一斉に振り向いた。
 時間が早いせいか客はまだいない。

 智子の様子で明美はそこにいないのが分かったが、
すぐにキッチンの中から「あら智子じゃない!」と顔を出してきた。

 「ご無沙汰!」

 智子も軽く手を上げた。
 走りよった明美は祥子に気づくと、
「へっ!もしかしたら祥子ちゃん?うわ~大きくなったわね!」
と叫んだ。その素っ頓狂な声に、祥子はやっと緊張感が途切れ
笑顔を取り戻した。


 「お久しぶりです。明美さんもきれいになって!」
 「まあまあ、お世辞でもうれしいわ」
 明美は二人を手前のシートへ導いた。すかさずおしぼりを
持ってボーイがオーダーを取りにきた。その相手をする智子に
かまわず明美と祥子は話を続けた。


 「それで祥子ちゃん、今何してるの?」
 「うん、この四月から那覇の服装学院に通うようになったの」
 「へ~そう。じゃ将来はデザイナーとか目指してるわけ?」
 「うん、できれば自分のブティックを持ちたいと思ってる」
 「具志川から通ってるの?」
 「まさかあ、今は智子のとこに居候中!」
「そうか、智子の旦那の実家大きいからね」
 「でもそのうちバイトを見つけて出ようと思ってる。いつまでも
頼ってられないしね」
 「へ~そうなんだ。まあ頑張って!」


 ボーイが席を離れると智子もすぐに二人の会話に入ってきた。
入れ替わりにちーママのユミが来て祥子の隣に座った。


 お酒が入り、しばらくすると明美と智子の会話はほとんど
“近所のオバサン”状態。ついていけなくなった祥子はユミと
一言二言交わした後、改めてぐるっと店の中を見渡した。


 こじんまりした店内は豪華というより落ち着いた感じの
インテリアだ。10席ほどあるカウンターは目がはっきり
出るようニスを塗った厚めの木製。
正面のケースにはガラス越し、上の棚に数種類のウイスキー
ボトルが、下の棚に最近増えてきた泡盛のボトルが、小さな
名札をさげて並んでいる。


 柔らかなトーンで橙色のダウンライトがカウンターを照らし、
天井と壁の間接照明が店内を広く見せている。四つあるボックス席は
カウンター席と同じ淡い赤茶色の布製シートで統一してある。 


 奥の一角に少し贅沢な空間がある。


 よく見ると小振りな黒いグランドピアノが置いてある。天井から
二つのスポットライトの灯りが交差し、そのピアノを艶やかに浮き
立たせている。
 BGMはオムニバスの洋楽が流れているが、デッキをみると
有線ではなくCDのようだ。もちろんカラオケは置いてない。  

 ユミの言うには、スタッフはボーイ以外に7名いるが曜日に
よっては4、5名、今日はあと二人遅れての出勤で全員になる
らしい。



 小一時間過ごすと、店内がそこそこ賑やかになってきたので
祥子と智子は席を立った。

 階段の手前、明美が小声で、
 「ねえ祥子ちゃんバイト、うちでしない?カワイイからすぐ
人気者になれるよ!」と多少社交辞令入りで誘ってきた。

 「えー!う~ん、それもいいかも!」
 「ホントに?」
 どうやら社交辞令だけではないらしい。
 「ウソウソ!出来ないよ!」 
 祥子は笑って右手を顔の前で振った。内気な性格とお酒が
呑めないのでとても務まらないと思ったし、それ以上に夜の世界に
足を踏み入れるのは多いに抵抗があった。

                        -つづく-

     




                

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