マタイ外伝 (後編)

YUU

2017年08月16日 20:24

    





 天気が良くなったせいか、今夜は早くからそこそこ客が
入ってきた。
 マスターが早めにステージの準備をしている。僕らも窓際の
カウンター席でステージを向いた。でも僕はどうも喉の奥に
刺さる小さな棘のように違和感が残り、頭の中が切り替わらない。



 僕は囁くように訊いた。 
「ねぇ、美香さん・・・そのおばあちゃん、前にも見たって
言ってたよね」
えっ、と意表を突かれたように美香さんは振り返る。そして
前に向き直し、顔だけ僕の方を見ながら応えた。

「うん、夕べで三度目」
「それって、もしかしたら…」
 美香さんは僕の話の続きが分かっていた。たぶん前から同じ
思いを持ち続けていたのだろう。深く息を吸い、
「そうね、確かに…」と吐きだすように呟く。
 ひとりだけ蚊帳の外の置かれていた伸彦が覗き込むように
割って入る
「何の話、してるの?」
 ちょうどその時、灯りが半分ほど落ちBGMがフェイドアウト
した店内、マスターのステージが始まった。僕らの会話が止まる。

 “最後の電話を握りしめて 何も話せずただじっと~♪”
 全音符の軽いダウンストロークのギター音とマスターの絞り出す
ような声が響き渡る。しばらくカウンターで考える仕草をしていた
美香さんが、僕に笑いかけた後、ステージに反転した。




「おいおい、マジ~!?」
 マスターのステージが終わった店内は、又いつものざわめきが
戻っていた。その中、伸彦は美香さんと僕の顔を交互に見ながら、
半ば呆れ顔の声を発した。

 美香さんが懇願するように手を合わせる。その顔は自分の使命感を
悟っているようにも、切羽詰まった悲壮感にも見える。

 確かに不可解な謎が解けた今、このままでいいはずはないとの
思いは僕にもあった。夕べの事を思い出し身体が硬直したが、
ぐっと腹に力を込めた。
「伸彦、大丈夫だよ。何なら運転しようか?」
 口を横一文字にしていた伸彦がキッと目を見開き、
「しょーがない。なるようになるっしょ!」
 うん、性格は変ってない。どっちかと言えば僕より腹は据わって
いるはずだ。

 立ち上がった美香さんはカウンター内のマスターに向かって、
お塩ちょっともらえる、とお願いした後、僕と伸彦の分までオアイソ
してくれた。






 時計はまだ十時を過ぎたとこ。
 夕べと違って空には半月と星が瞬いている。

 道すがら会話はなく、グレープの”精霊流し”が聴衆のいないコンサート
会場のように車内に流れている。僕は後部座席じっと目を閉じ、
さっきの美香さんの言葉を頭の中で反芻した。

 "たぶん、おばあちゃんはあの子の死がまだ受け入れきれていない。
だからあの白い箱なのよ。やり場のない怒りに似たメッセージだけど、
このままじゃあの子は成仏できない"

 掌に残る塩の粒をもう一度舐めた。

 僅かな辛みが萎みそうになる心の襞を刺激する。頭の中に男の子
とも女の子ともつかない園児の顔が浮かんだが、すぐに爆発現場の
写真にそれはかき消された。




 路地に入ると伸彦は車をハイライトに切り替えた。やはり夕べと
違って遠くまで見渡せる。
 ゆっくり走る車の窓を全開にし、気持ちを確かめるように前方の
一点を見据えると、畑の中にボッと白っぽい墓が見えてきた。
 胸が高鳴るが不思議と恐怖心は起きない。



 美香さんの指示で伸彦は、墓の手前で車を止め、エンジンとライトを
切った。
 僕と伸彦が先に、美香さんはバッグから何かを取り出し、車を降りた。
覗き見ると手に珠々を持っている。どうやらいつも持ち合わせている
らしい。

 風はなく、冷んやりとした空気が身体を包む。

 目を凝らすまでもなく月明かりで辺りの様子は分かる。仰ぎ見ると
遠く黒い稜線は位置的に豊見城の高台だろう。
 腰ほどの高さの囲いの中は同じコンクリートで敷き詰められた広い
スペースになっている。


 美香さんを先頭に囲いの入り口に立った。
 墓まではゆうに15mはあろうか。隣で伸彦がゴクッと息を呑む。
「何か見える?」
「ううん、まだ何にも」
 美香さんはその場で身動きしないで、全身の神経を集中させている
ようだ。握りしめた両手が汗ばんできた。


 どれほど経っただろう。
 時間という観念が消え、気が遠くなりかけた時、目の前で珠々の
音がして我に返った。
 美香さんが両手を合わせ頭べを垂れている。無言で続いた。
 目を閉じると身体が宙に浮いたような感覚になる。これといった
不快感はない。園児の姿が又おぼろげに浮かんだが、これは僕の思考
回路の意図した映像であることが自覚できた。

 カタッと音がし、目を開けると、美香さんが前にゆっくり進み
だしている。
 美香さん…、と呼びかけようとしている伸彦を右手で制した。その
代わり囁くように、大丈夫か?と声をかけると、伸彦は顎を小さく
胸元に引いた。


 墓の手前、美香さんは身をかがめ両手を前にして小さく丸まった。
そして背中越し、よく聞きとれないが何か文言を唱え始めた。
 しばらく一帯の様子に何の変化も見られない。が、そのうち声が
消え入るように聞こえなくなった。

 美香さんがゆっくり顔を上げ前を見た瞬間、全身の力が抜けた
ように、バタッ!と倒れた。
あわてて僕らが駆け寄ると、輪郭が分かる位、美香さんの身体を
仄かな光が包んでいる。

 その発光体は美香さんの身体を魂が離脱するように離れると、
囲いの中をぐるぐる回り出し、そのまま小さな二つの玉となり
天に昇っていった。 
「美香さん、美香さん!」
 両手で抱き起こすと、静かに目を開けた美香さんは、微かに
頬笑み、
「ありがと、大丈夫よ…」
「おばあちゃんたちは?」
「うん、おばあちゃん分かってくれたみたい。顔もきれいになって、
かわいい園児の手を引いてたわ」

 美香さんの頬の涙を指で触ると、何とも言えぬ温もりがある。
僕の胸の中、熱いものが込み上げてきた。
 美香さんが立ち上がる。僕らは今しがた天に昇っていった二つの
霊魂に改めて手を合わせた。
     
                           -了-                                                                                  




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