マタイ外伝 (前編)

YUU

2017年08月15日 16:31

    




 彼女は人一倍霊感が強かった。
 不思議な体験と言われるのも彼女にとって日常の出来事、
出会った彼と二週間で結婚したのも何かに導かれての事。そして
この必然の結婚を境に彼女は僕らの前から消えた。       



 那覇のライブハウス“フォークメイツ”は文字通りフォークの
好きな常連客が多く、髭のマスターの雰囲気そのまま、アット
ホームな店だ。それ程広くはないが、かといってこじんまりと
している風でもない。

 毎晩ステージはマスターの弾き語りや、飛び入りのセッション
で盛り上がる。コーヒー一杯で粘る貧乏学生の僕は大学より通う
回数が多い。



 この店でだいたい週3,4日は顔を見る気さくでお姉さん的
存在が、美香さんだ。女同志で盛り上がる時もあるが大抵ひとりで、
根っからのフォーク好き、僕らがステージでかぐや姫やアリスなど
歌っているとよくリクエストしてくれる。特に季節柄アリスの新曲
“秋止符”はお気に入りだ。

 不可解なことが一つある。
 美香さんはいつも12時近くまで店にいて、帰る時は自分でタクシー
を呼ぶ。それも毎回同じタクシー会社の同じ運転手を指名して。
その理由を聞いても美香さんはさらっと笑い過ごすだけだ。






 窓の外は夕方からの雨が降り続いている。
 十月に入っても相変わらずのクーラーがこの時間になると少し利き
過ぎる感だ。スピーカーから流れる吉田拓郎の“どうしてこんなに
悲しいんだろう”が毛穴をこじ開けるように沁みてくる。

 平日水曜日にこの天気、いつになく静かな店内は、残っている客も
僕と相棒の伸彦、そしてマスターと話している美香さんだけ。

 マスターが洗い物を始めると、美香さんは時計に目をやった後
カウンターの端にあるピンク電話の受話器を取った。そして1分も
しないうちに受話器を置いた美香さんは、大きな失敗でもしたように
顔をゆがめた。

 その様子から、どうやらいつもの運転手が休みらしい。
 マスターがカウンターの中で、
 「別のを呼ぶ?今夜はタクシーも空いているはずだし」
 「ううん、いい!」
 結局、別のタクシーを頑なに拒む美香さんを、僕と伸彦が送って
いくことになった。



 伸彦の車の助手席に美香さんが、後部座席に僕が乗った。スポーツ
タイプのクーペはどうも後部座席が狭い。
 車が走り出すと、僕はしばらく身体を前のめりにして三名で店の
続きの様な他愛のない会話をしていたが、体勢が疲れるのでそのうち
ドカッと座席に深く座った。

 前のふたりは相変わらず会話を続けている。
 僕は屋根をたたく雨音と混じって車内に松山千春の“恋”が流れて
いることに気がついた。好きな唄だ。しばらく目を閉じ耳を澄ました。



 美香さんの家は小禄で、バス通りから500m程入った所にある。
地元でも有名な幼稚園の近くで、この時間帯だとあと20分もかからない
だろう。
 その幼稚園は、昭和49年に旧日本軍の地雷による不発弾の爆発
事故があった場所だ。園児を含む38名の死傷者をだした大惨事として、
ニュースは県民に大きな衝撃を与えた。

 数年前の新聞一面トップの事故現場写真と大きな活字が脳裏に甦る、
と同時に僕の頭の中が何故かいつもの不可解なこととリンクした。





 バス通りから路地に入るとだんだん家が少なくなり、一帯は野菜畑が
多くなってきた。
天気のいい昼間ならのどかな田園風景との感想もでようが、今はそんな
気持ちの余裕はない。
 いつの間にか会話が途切れていた。
 美香さんは心なしか不安な様子で窓の外に目をやっている。街灯は
あるが雨足が次第に強くなり、前方がぼやけて見えづらくなってきた。

 車が細い路地を小川に沿ってゆっくり進んでいくと、
何やら左手に墓が―。
門中墓のようにかなり大きいがまだ新しい。ぞぞっと全身の鳥肌が
立った。
 車が薄暗い中に浮かぶ墓の前を通り過ぎようとしたその瞬間、

 「キャー!!」
 心臓が飛び出した。伸彦もハンドルを取られそうになる。
あわてて立ち上がると、美香さんがダッシュボードに手をかけ顔を
伏せている。
 「美香さん、どうしたの!?」
 「行って!そのまま、早く!」
                         



 よせばいいのに、車を降りようとしていた美香さんに伸彦が
さっきのことを聞いている。家の前まで来た為か美香さんは気持ちが
落ちついた様子、躊躇いながらも少し笑みを浮かべ話しだした。
“え~!ウソだろう!何も今…”

 怖がりに思われたくないのが本音だが、興味ありそうな顔で僕は
シートの間から前のめりになった。
 「多分あなた達には見えなかったでしょうね」
 「えっ!何が!?」伸彦が反応した。
 「あのお墓で白い箱を抱えて座っているおばあちゃんが」

 僕はごくりと唾を飲み込んだ。
 「実は前にも見たんだけど、その時は髪が垂れてよく顔が見えな
かった・・でも今日ははっきりと」
 美香さんはじらすように一呼吸置く。隣の伸彦の顔がひきつっている。
 僕はここまできたらと続きを急かした。美香さんは僕の方を振り返り、
 「おばあちゃんの顔は半分つぶれていた。たぶん爆発事故のせい・・
実はあそこは事故で犠牲になった園児のお墓なの。白い箱はお骨を
入れた箱ね、きっと」
 「・・・」
 一瞬車内が凍りついた。
 そこで美香さんは急に笑い声になって、
 「あはは、大丈夫よ!」
 「えっ、ウソなの!?」これにも伸彦の反応が早かった。僕も“ふ~!”
と深く息を漏らした。でも美香さんは意外にも、
 「あら、本当よ。ちょっと待ってて!」と伸彦に言うと、
ドアを開けながら僕に「一緒に来て!」と手招きした。

 美香さんは僕を玄関先に待たせ家の中に入っていった。そして
程なく手に塩の入ったビニール袋を持ってきた。



 伸彦は車をUターンさせ待っていた。そこで改めてこれから例の
場所をもう一度通るのだということが頭によぎった。僕は傘を左手に持ち、
美香さんに言われた通り車に塩を思いっきり振りかけた。その途端、
エンジンがプスッと止まった。
「わっ!」僕らは同時に声を発した。



 車に乗り込んで少し冷静さを取り戻した。このままここにいる訳には
いかない。前方を見ると、街灯の灯りで道路は確認できる。
幸いなことに道路は少し前傾斜になっているようだ。そして車もオートマ
ではない。「よし!」と僕らは又同時に声を発し顔を見合わせた。
僕は傘も差さず外へ出た。

 「OK! いいよ!」
 伸彦の合図で車体に身体を預け、思い切り両足で踏ん張った。
車はゆっくりゆっくり前へ進み、傾斜によって加速度がつき、20mも
しないうちにエンジンがかかった。
 ガッツポーズと共にさっきまでの恐怖はどこかへ吹き飛んだ。




 車は緩いカーブを曲がり、いよいよ例の場所に差し掛かった。だが何も
しゃべらず前だけを見てその場を過ごそうとした瞬間、今度は音も立てずに
エンジンが止まった。ちょうど墓の真ん前だ。

“ゾゾーッ!”

僕らの顔から血の気が完全に失せた。
 何度セルを回してもかかる気配がない。
 ここから僕はさっきにも増して全身に力を込め、伸彦もハンドルを
持ちながら車を押し続けた。もうエンジンをかける為ではなく一刻も
早くその場から立ち去りたかった。

 無我夢中で押し続け気がつくと、もう少しでバス通りという所まで
きていた。振り返ると墓はとうに見えなくなっている。ホッとして
車に乗り込んだ伸彦が試しにセルを回すと、何と一発でエンジンが
かかったではないか。




 翌日、僕らに少し遅れて美香さんがやってきた。
 昨夜の出来事を話すと、それほどビックリする様子もなく、
 「やっぱりねえ・・でもよかったじゃない!」
 「えっ、どういう事!?」
 「あのまま帰っていたら、もしかしたら事故に合ってたかもよ!」

美香さんは、塩をまいてエンジンが止まったことで、時間差が出来たのだ
と言う。そして自分もタクシーで何度か事故に合いそうな経験をした、と。
ただそれはいつも同じ時間帯に同じ運転手の場合は起こらない、とも。

 美香さんはふたつの青い顔が映っている窓を見て笑った。

                               
                    -つづく-



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