識名霊園まで

YUU

2017年08月24日 22:04

     


   


 雨がシトシト降り続いている。蒸し暑い夜だ。
 フロントガラスの曇り止めに車内のクーラーはよく効いている。
仕事とはいえ、タクシーの運転もこんな夜は苦手だ。
雨で視界が見えにくくなるせいもあるが、どうも自分の性格による
ところの方が大きい。
子供の頃からの極端な怖がりはこの歳になっても変わらない。


 交代の時間まであと少し。あと一組くらいだな。売り上げはそんなに
ないけどこの雨じゃしかたない。それに一昨日観たビデオを思い出し
心配していたが、何とかこのまま乗り切れそうだ。




 親父から譲り受けた小さな卸雑貨の商売、昔ながらのやり方では
続かないことを分かりながら、何の工夫もないままシャッターを
下ろしたのが昨年の暮れ。

これも又、根っからの物臭な性格の為だ。
職探しも中途半端でしばらくぶらぶらしていたが、さすがに女房の
手前知人のツテを頼って今のタクシー会社に決まったのが三ヶ月前。
当初は昼勤のみでいけたが、しだいにシフトで夜勤も入るように
なった。
 
 だが今回みたいに、前日に急きょシフト変更を命じられたのは
初めてだ。
 




 松山の飲み屋街から古島までの客を降ろし、安里あたりを
流していた。
 この時間、この雨の中タクシーを拾おうとする者はいない。
バイパスを会社のある古波蔵の方へ向けて走らせていると、
与儀公園の手前で客らしき人が立っている。薄暗い靄の中、
公園の青白い街灯に白っぽい服が浮き上がるように見える。

 車を端の車線ゆっくりと進めていくと、案の定手を上げた。
でも様子が少し変だ。
 
 女の人が傘も差さず、前かがみに長い黒髪を垂らしている。
車が止まる前にちょっと顔を上げたが、よく見えないうちに又
下を向いた。

 異様な雰囲気に“やだなぁ~”と思いながらも、ここにきて
乗車拒否は出来ない。あとは行き先が遠ければ交代時間を
理由に断れる。


わずかな期待を胸にリアのドアを開け、
「どちらまで?」
 腹に力を込めた。
だが女は行き先を言う前に雨から逃げるように身体を車内に
投げ入れてきた。

「あの~、どちらまでですか?」
少し上ずった丁寧な口調になってしまった。

「・・あっ、すみません・・識名霊園まで」
 微かに聞き取れる声は後部座席うつむいたまま。
いよいよもって気味悪い。よりによって、確かに“識名霊園”
・・はっきり聞き取れた。

 断る?一瞬迷った。
距離的には何とか交代の時間に間に合う。バックミラーを
見た。髪を垂らして顔が確認できない。この雨の中、断ることは
できそうにない。

 腹を決めた。

 ほとんど対向車のない国道を、深夜メーターのタクシーが一台、
意味のない信号待ちのあと与儀十字路を左に折れた。










 息子が借りてきたリングのビデオ。
こんなことなら一緒に観なければよかった。まさか夜勤に
なるなんて思わなかったもんなぁ。今でも“貞子”の顔が頭から
離れない。



 車内のクーラーは効きが悪くなってきた。
おかしいな、さっきまで寒いくらいだったのに。


 「お客さん、だいぶ遅いけど飲み会でもあったんですか?」
 「・・・」案の定、返事がない。

 気にとめずラジオのボリュームを少しだけあげた。深夜放送の
やけにテンションの高いDJの声が耳につき、チャンネルを
BGMに替えた。

フロントガラスの曇りとともに雨の勢いも増してきたので、
クーラーのスイッチをひとつ上げると、排気口が微かに白い息を
吐いた。ドキッとした。





 車は真和志小学校前を通り過ぎ、Y字の三叉路を右折した。
上間入り口までの坂は道路拡張工事の為、昼間は混雑を極めて
いるが、この時間は点滅標識を横目にスイスイだ。

この一帯は昔からの家々で年寄りが多いこともあり、那覇の
都市計画の遅さを象徴するように計画からかなりの年月が経つが、
ここにきて急ピッチで工事が進行している。

工事完了まであと何ヶ月もかからないであろう。何はともあれ
早く終わって欲しい。



 オレンジの点滅が過ぎると、上間入り口あたりでは又薄暗い
道路になった。

 〈識名霊園って言ってたけど・・〉

 詳しく聞こうか、バックミラーを見た。
女のさっきから変わらぬ姿勢に、着く頃に聞こうと前に視線を
戻した。



 タクシーはいよいよ識名霊園が近づいてきた。雨粒は大きくなり、
遠くで稲妻が走ると、 墓地がヘッドライトの向こう、靄の中に見えてきた。
背中に“ゾゾ~!”と冷気が走る。ここに家はない。

 
 ミラーの女は乾いた髪が顔を覆い隠し、気味悪さが増している。
その顔を上げたら今にも・・軽く頭を横に振り“貞子”を振り払った。
そして少し大きな声で、

「お客さん、そろそろ識名霊園ですが・・」と、もう一度ミラーに目を
やる。その瞬間、車の前にサッと黒い猫が飛び出した。

 “キキー!”

 あわててハンドルを切り急ブレーキをかけた。
車はスリップして道路脇で止まり、その拍子にエンジンもカクンと
止まった。


轢いたような感触はない。ワイパーはカタカタとその動きをやめず、
雨が激しく車の屋根を叩く。

 「ふ~!」
 目を凝らすと、正面に大きな古い墓が―。
 













     <*この動画に顔を近づけ、10秒間画面を見つめて下さい>















 “ゾゾ~!”と冷気は身体全体を覆った。
だがすぐに落ち着きを取り戻し、

「お客さん、大丈夫ですか?」
「・・・」
「お客さん!?」
 バックミラーではなく、直接後部座席を振り返った。瞬間、
“ピカッ!”と稲妻が走り辺りを照らした。

 〈いっ、いない!〉

心の叫びが雷に掻き消された。濡れた跡が残る座席には誰も
いない。

 「わー!」

 さらに薄暗い車内、助手席側のシートの裏手から白い手が、
 “ニョキ!”
「ギャー!!」”ゴーン!”
 ウインドウに後頭部をしたたかに打った。


 










 「ん~、着いたんですか?」
 恐る恐る室内灯を点けた。
 女性は急ブレーキで前に押し倒されて、シートに挟まるように
潜り込んでいた。
すっかり酔いと眠気が覚めた彼女は、あわてるふうもなくシートに
座りなおすと、静かに髪をかき上げた。
“ドキッ!”とするほど綺麗な女性だ。



 「あっ、そこを曲がったらすぐです」
 霊園を抜けるとチラホラ家が立ち並んでいる。未明の空は東側が
うっすらと明るみを帯び、雨はウソのようにあがっていた。

                        <了>
                    






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