(2章)
沖縄にしてはうっとおしい梅雨が明け、ありふれた夏の日々も
過ぎていった。祥子はあの後すぐファーストフードのバイトを
見つけ、智子の家を出て一人暮らしを始めていた。
久しぶりに明美から食事に誘われたのは、八月最後の日曜日
だった。ひとりで退屈していた休日ということに加えて、最近は
学校もマンネリになっていたのですぐにOKした。
ハーバービューのレストランは時間が早いせいかまだそんな
に混んでいない。手持ち無沙汰のスタッフの脇を、マネージャー
らしき黒服に誘導され窓際の席につくと、茜色に染まるビル郡が
視界に飛び込んできた。
「わ~、すごい!」
「たまにはホテルで豪華な食事ってのもいいでしょ」
「何かドキドキ、私こういうホテルでの食事初めて。明美さん
よく来るの?」
「そうねぇ、まあ時々ね」
黒服は厚めのメニューを二人に渡し一旦席を離れていたが、
混んでないせいかすぐにオーダーを取りに来た。
明美が慣れた手付きでメニューを開き、「これでいい?」と
祥子に形ばかりの確認をしたあと、1番上の"本日シェフおすすめ"、
とある魚とお肉のフルコースを二人前頼んだ。
黒服は復唱確認した後、取っておきのお辞儀をして踵を返した。
初めてのフルコースにも、フォークとナイフを器用に使い
ながら“美味しい!”を連発する祥子。それを受けて楽しんで
いる明美。
あとはたわいもない会話―。
食事が一息つくと明美は、デザートをほおばりコーヒーを口
にしながらおもむろに、
「祥子ちゃん、どっちかといえば人見知りする方でしょ」
「えっ!どうして・・」
「うん、そんな感じがする。実は私もそうだったのよ。東京に
いた時回りに知っている人が誰もいなくて、淋しくって一年も
しない内に沖縄に帰ろうとしたのよ」
「うそ~、明美さんは最初から社交的だとばかり思ってた!」
「でもね、そのまま帰りたくなかったから積極的に周りの人と
話すようにした。まあ、負けず嫌いなとこあったのね。そしたら、
不思議なことに今まで一番とっつきにくいと思っていた人が友達
になったのよ」
そう云いながら、遠い記憶を呼び戻すように明美は窓の外に目
をやった。
「ふ~ん・・」と、祥子もその視線を追うように外を見た。
夕暮れだった街は、いつの間にかビルの明かりが支配する夜景に
変わっている。窓に映る間接照明で照らされたレストランの席は
もうほとんど埋まっている。
急に明美が祥子を向いて話題を変えた。
「ところで祥子ちゃん、前にウチのお店に来てどうだった?」
「うん、とっても楽しかった!」
「よかったら今からでもバイトの件、真剣に考えてみない?
いろんな人がいるし、もしかしたら祥子ちゃんがとっつきにくいと
思う人に出会うかもよ」
そう言って笑うと、明美は残りのコーヒーを一気に飲み干した。
雄一郎の包み込むような雰囲気に、少し落ち着いた祥子は
自ら声をかけた。
「こちらへはよく来られるのですか?」
「そうだな、忘れた頃にかな」
「ふ~ん、そうですか・・」
その素直なリアクションに雄一郎は、「でもまあ、最近何かと
忘れっぽくなってきたけどね」と付け加えたが、祥子はそのまま
流した。
「お酒は呑まないんですか?」
「酒?酒は嫌いだな、うん。でも雰囲気が良ければ何を飲ん
でも酔えるけどね!」
ウーロン茶のグラスをカラカラさせながら冗談っぽく笑った。
雄一郎59歳、祥子の年齢は孫みたいなものだ。女性一人を含む
従業員四名の小さな不動産屋を経営している。
明美の遠い親戚にあたり、オープン時からの常連とのこと。
祥子のMeiでの最初の夜は、雄一郎のやさしく手ほどきするような
会話に宙を舞う気分で過ぎていった。
(3章)
国際通りは季節のせいかそれとも流行のファッションなのか、
観光客の若者もひと頃に比べ肌の露出が少ない。
西にまだ陽が残っているだろうが通り沿いビルが立ち並び、
それを見ることはない。
商店街の必要以上の照明がやっとその効果を発揮しだすと通り
は一変に華やいできた。
祥子は賑わう三越前を通り過ぎた。
髪の長い男が歩道の一角を確保し、大きな布を広げ、
手作りのアクセサリーを並べている。黙々と手元で何やら作って
いたけど、日焼けした二人組みの女性が膝を折り、興味深そうに
覗き込むと一転笑顔で応える。
スクランブル交差点を右に折れ沖映通りに入ると少し風がでてきた。
切ったばかりのショートのワンレングス、首筋にさすがに季節を
感じる。
パチンコ店のネオン文字が夜へ急かすように、ジージー音を立てて
左右に行ったり来たりしている。
歩きながら祥子は時計を見た。
午後六時四五分―。
この時期昼でも夜でもなく中途半端だが好きな時分でもあった。
買い物袋をかかえてすれ違う人が増えてきたが、観光客らしきはもう
ほとんどいない。ダイナハ前は客待ちのタクシー運転手が四、五名
談笑しながらたむろしている。
久茂地川に架かる橋を渡ると目的のショップはもうすぐだ。
Meiで働くようになってひと月半になる。
最初週末だけだったが専門学校に支障のない範囲ならと、
今では週四日ほどになり、逆にファーストフードのバイトはそろそろ
辞めようと思っている。反対していた智子も最近は時々遊びにくる
ようになった。
この頃は店に出るのが楽しみだ。 性格も多少明るくなった。
雄一郎は歳が離れているせいか、話のひとつひとつがおとぎ話の
ようで何とも心地いい。時々子供っぽくなるが、それが不思議な魅力で、
いつの間にか抵抗なく“雄ちゃん”と呼ぶようになっていた。
“雄ちゃん”は時々ピアノも弾く。 結構な腕前だ。
店には専属のピアニストがいる訳ではなく、インテリアになればと
置いたピアノを、腕に自信のある客が気軽に弾いていた。
“雄ちゃん”も以前は、そのためだけに店に遊びに来ているような
感じだった。
橋の手前信号を待ちながら一息つくと、
祥子は夕べのことを思い出し、“クスッ”と笑みがこぼれた。
―祥子とユミの前で雄一郎はさっきからめずらしくハイテンションで、
ダイビングの話をしている。
「海の中は透明で一面のサンゴ礁!小さな熱帯魚たちがすぐ目の前を
泳いでいてね、手を出しても逃げないんだよ。そうそうウミガメが
ゆ~ったり・・」
雄一郎が手を広げ泳いでいる様子は、目を輝かせてまるで子供のようだ。
身振り手振りの話に、祥子はなんだか自分も海の中にいるような気分に
なった。
「うわぁ、いいなあ!祥子もやってみたい。ねえ、ユミさんも一緒に
やろうよ」
「いいえ、楽しそうだけど遠慮しときます。若い祥子ちゃんと違って
この歳になるとシミがたいへんなのよ~」
「ダメダメ、ユミは!ダイビングはそんなに日焼けしないって言っても
訊かないから」
ユミと雄一郎が一緒に笑った。
明美より歳が二つ上のユミは、清楚な感じだけど、意外におっちょこ
ちょいなところもある。
団体客を見送った明美が「まあまあ楽しそうね!」とカウンターの
中へ入ってきた。
「それにしても雄ちゃん元気になったね!又ダイビングをやるなんて
思わなかったわ。やっぱり若い祥子ちゃんのせいかしらね」
明美はうれしそうに言った。
少し前まで雄一郎は体調が悪く店にも時々顔を出す程度だったが、
祥子がきてからは又カウンター席の主になっていた。
さすがに以前はよく呑んだお酒までとはいかないが。それと人が
変わったように陽気になった。
「うん、祥子を見ているとこっちまで元気になってくる。なっ!」
「は~い、オトーさま!」
おどけた笑顔は初めの頃とまるで別人だ。確かにお互い親子に似た
感情だった。
だが運命の糸は時に絡むことがある。
明美の行き付けのブティックは人通りがそれほど多くない場所に
あった。ほとんど馴染み客と口コミだから、確かに繁華街にある
必要はないのだろう。
祥子は服装学院では、ブランドを立ち上げたりショップを持ちたい
という人には一番いいということで、アパレル総合化を専攻している。
ただ、まだ自分自身のファッションには全くと言っていいほど疎い
状態だ。
21歳で通している店でも、ほとんど普段着に近い服はそれで
なくても子供っぽく見える。明美の物を二、三着借りているがとても
似合っているとは思えない。
雄一郎に出会ってから確かに自分が変わったと思う。
今日も明美が付き合うというのを断ってひとりでここへ来たのも、
自分のセンスを信じたかったからかも知れない。
ショップをガラス越し眺めた後、一度深呼吸してドアを開けた。
―つづく―