-はたして、人の一生の記憶中枢に容量があるのか。
そして、神が人間を創造する時、その記憶の新旧自動書き
換えではなく、消去してはいけない大切な思い出を残し、
残す必要のない新しい体感を記憶として取り込まない脳の
性能にした、としたら・・・うん、、腑に落ちる-
母がいわゆる、軽度の認知症になって久しい。
初めの頃は、ありふれた”物忘れ”。まあ、年を重ねれば多かれ
少なかれ誰にでも起きる現象、”認知症”ではない。
その内、ついさっきのことも頻繁に忘れるようになり、
短時間に同じことを繰り返し聞くそして言う、通帳や印鑑の
しまい忘れに盗まれたと騒いだり、介護ヘルパーにネックレスを
盗まれた、と被害妄想を抱く・・等、だんだん周りにも迷惑を
かけるようになった。
そんな母(昭和2年生)と、そして足腰のすっかり弱くなった
父(大正12年生)と、一緒に暮らすことになった。(ボクの方から
要望。結果的には短期になったが-)
漁師の父を支え、家計を切り盛りしながら子供六名を育て、
父が陸に上がった後は鮮魚店と海産物レストランを経営した
働き者、芯が強く気丈な母としてのイメージ以外、自分の
母親像を喚起するものはない。
一緒に暮らしてみて、改めて母の症状に愕然とした。
”介護”という言葉のネガティブさが常に脳裏を横切り、
疎遠にしていたことが後悔の念となって気が重くなる日々が
続いた。
それから数ヶ月-。
それだけ生活を共にすると、不思議と当初抱いていたネガ
ティブさが薄れていき、徐々に母の”症状”が”状態”になり、
ついには当たり前になってきた。いつの間にか生活の物差しが
母のそれに取って代わっていた。同じ現象もこっちがポジティブに
捉えられると、母もつられる。
ぎこちなく手に持つハサミにドキドキしながら、四十年以上
ぶりに母に髪を切ってもらった。結果、これがまたビックリ!
当時と変わらない仕上がりに、母も笑って、「頭の形、ちゃんと
覚えてたよ~!」って。
「いや~、すごいね!」って言いながら、髪を洗って風呂場
を出てきた。ハサミを仕舞おうと母に尋ねると、
「う~ん、どこかね~?」って、あれ、まだ5分・・。
母、「その内、宝物みたいにひょっこりでてくるさ~!」
ボク、「そうだね、うん!」
そんなある日-。
父母は夕食後、日頃は身体に気を遣って抑え気味にしていた
お酒が入ると、上機嫌、いつにも増して話が弾んだ。
ボクは話の聞き役。時々、割って入る程度。
ふたりの話はだんだん時代を遡り、ついに出会いの頃に・・・。
〈糸満売り〉
えっ、何この感覚!?
ふたりの話は、つい昨日の出来事のように、映像が鮮明に
浮き出る。静かに目を閉じると、そこにいるのは二十歳前後の
青年と少女-。
70年の時を越えた”青春の1ページ”が色褪せることもなく、
ボクの記憶の中枢にしっかりと取り込まれた。