僕が学生の頃、田舎の学習塾でバイトをしていた時の話。
それは小学1年から6年まで二教室を3名の先生で教えている
小さな塾、の~んびりとしていて子どもたちも素直で楽しいバイト
だった。
ある日、次の授業の準備をしていた休み時間、たまたま教室に
いるのは僕のほかに男の子の兄弟だけ。ポカポカ春の陽気、
子どもたちは外で遊んでいる。
兄弟は1年生と3年生、とても仲良しでいつも休み時間に
なると弟がおにいちゃんの教室に遊びにきていた。
おにいちゃんをとても信頼しているらしく、弟は分からないこと
があるとちょっとしたことでも、「ねぇねぇ、おにいちゃん・・」と
聞いていた。
その日も僕の耳に何気なしに兄弟の会話が聴こえてきた。
「ねぇねぇおにいちゃん、ひとつ聞いてもいい?」
おにいちゃんはマンガを見ながらも「ん?何?」、ちゃんと
弟の話を聞いている。
「こないだ、さくらんぼ食べたよね」
「うん、それがどうしたの?」
手を止め聞き耳を立てながら教室の外を見ると、もう葉桜に
なった見事な桜の木が―。
「あのさくらんぼって、さくらの何?」
〈子どもの疑問て面白いなぁ〉僕の耳はさらにダンボになる。
よく見るとおにいちゃんは”えっ?”て顔でマンガから視線を
はずし、その目が泳ぎだした。
〈ああ、おにいちゃん困っているな〉
無邪気な弟はおにいちゃんの言葉を待って、首をチョコンと
倒しその顔をのぞくような仕草。
そしておにいちゃん、一瞬の動揺から立ち直るとニコッと、
「あのね、さくらんぼっていうのは・・さくらの”んぼ”だよ」
僕は思わず机からずれ落ちそうになる、がググッと踏ん張り
弟の顔を見た。
「さくらの”んぼ”。ふ~ん、そっかぁ!」
〈えっ!〉落ちた。
弟は何でも知っているおにいちゃんに、それまでにも増して
尊敬のまなざし―。
他愛のない会話は春風のようにさわやかなだった。
―あれから三十年、あの兄弟はどうしているだろう。
あの頃のままでいてほしいなって思いながらも、今も僕の
頭の中に残る謎・・・
「ねぇねぇ、おにいちゃん、”んぼ”って何?」